はじめに

情報局

『河内キリシタン』を探求

フランシスコ・ザビエルが来日し、キリスト教が伝来された室町・戦国の時代、足利幕府は勢力をなくし京の都も混乱していました。その時、幕府の代わりに実権を握っていたのが織田信長に先駆けた天下人といわれる三好長慶であり、居城であった飯盛山城(大東・四條畷)は近畿地方の延いては日本の政治の中心のような場であったとされます。

その長慶が日本でのキリスト教の布教を許可し、1563 年に飯盛山城で有力な武将・大名をふくめた73 名が洗礼を受けます。飯盛山麓は異教徒がいないと言われたほど「河内キリシタン」は隆盛をきわめ、「畿内キリシタンの聖地」となりました。

しかしその後は迫害弾圧の強さを物語るかのように、跡形もなくといっていいほど遺物の発見もなく、地元地域の人々も知り語られることなく現代を迎えましたが、2002 年に田原城城主・田原レイマンの墓碑(日本最古のキリシタン墓碑)が発見されたことにより「河内キリシタン」が注目されるようになりました。

2010 年には河内キリシタン研究の第一人者である神田宏大牧師(2016 年 6 月召天)を中心に初めてのシンポジウムが開催され河内キリシタン研究会が発足、キリシタン史の中で“真空の時代”といわれる「河内キリシタン」が。少しずつ認知されるようになってきました。

神田宏大牧師は、宣教師ルイス・フロイスの『日本史』の記述などによって河内飯盛城が所在する飯盛山の麓、現在の大東市、四條畷市の地が、戦国時代の初期キリシタンたちの聖地であったことを知り 40 年に渡り研究、筆書に河内キリシタンの入門書といえる「河内キリシタン人物伝」や「野崎観音の謎・野崎観音は隠れキリシタンの寺か!?」があります。

当ブログは、神田宏大先生の意志を引き継いで、河内が「キリシタンの聖地」であることを検証し、地域活性につなげていこうという河内キリシタンプロジェクトです。

河内キリシタン研究会 :会長
野崎キリスト教会:牧師

昭和20年西宮市生れ。単立・野崎キリスト教会牧師。関西聖善学院講師。テーマは「伝道実践・キリシタン史」。神学博士。関西520教会のネットワーク「近畿福音放送伝道協力会」副実行委員長として、毎月、ラジオを通して日本のキリスト教会史のエピソードを語る。平成26年2月11日河内キリシタン研究会発足。会長に就任。

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