野崎観音 常夜灯の謎

大東市・四條畷市

野崎観音 常夜灯の謎

野崎観音(慈眼寺)が隠れキリシタンの寺ではないか?という神田先生の著書「野崎観音の謎」があります。

野崎観音の山門(正門)脇にある常夜灯には、安永6年(1777年) 願主 肥前国平戸住 紙屋和三郎 の銘が入っているのですが、はるばる平戸から燈籠を寄進?と思われませんか?

神田先生の著書「野崎観音の謎」の中で、長崎平戸の隠れキリシタンから、迫害に遭ってもがんばって信仰を守っている河内の隠れキリシタンへのエールだったと考えられるとあります。

元禄の時代から、5月の野崎まいりで知られる野崎観音ですが、『河内名所図会』(江戸時代後期に描かれた観光ガイドのようなもの)に描かれ、国民的流行歌手東海林 太郎さんの「野崎小唄」(野崎まいりは、屋形船で参ろう~♪)で知られます。

河内名所図会に飯盛山と野崎観音が見えますね。

野崎観音の常夜灯に灯りが灯されると大阪市内からも見えたかもしれません。キリシタンの人々は遠くに見える野崎観音の灯りに向かって祈っていたかも知れません。

河内キリシタン研究の中で、常夜灯の寄進者肥前国平戸住 紙屋和三郎 さんを調べても存在しない(該当者がいない)ことがわかっています。

野崎観音の古文書に別の常夜灯を寄付した人に「金壱両 豊後國森家中 辻新左衛門寄附」と記載があるそうですが豊後森は湯布院と並ぶ大分県の隠れキリシタンの町です。

ロマンあふれるお話ですね。

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