キリシタン大名池田丹後守の若江城について地域サイトが特集記事

大東・四條畷以外

キリシタン大名池田丹後守の若江城について地域サイト特集記事

河内キリシタン全盛時代、キリシタン大名池田丹後守の若江(東大阪)城下には、三箇(大東)・砂や岡山(四條畷)・教会があり、多くの信者がいたといわれています。

フロイスの『日本史』によると、教正が建てたのは立派な司祭館付きの教会だったとされ、河内におけるキリシタンの集住地として、岡山、三箇、若江の3か所が挙げられています。

若江城の廃城後、若江の教会も姿を消しましたが、現在も若江北町には「クルス」、若江南町には「大臼(デウスを指す)」の字名が残っているそうです。

東大阪地域情報サイト「どうなってる⁈東大阪」で若江城の特集記事があります。

住宅地等となり地上部は何も残っていない若江城ですが、マンション建設に伴う工事で若江城関連の遺構の一部がみつかりました。

記事では東大阪市教育委員会文化財課と、郷土史家杉山三記雄氏の協力で、幻の若江城の歴史と発掘現場写真も掲載されています。

        若江城址碑(若 江 城 跡)所在地:大阪府東大阪市若江北町・若江南町(写真:ウィキペディア)
                  写真:『どうなってる⁈東大阪

東大阪地域情報サイト「どうなってる⁈東大阪」特集 若江城

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