旧大箇の家形灯篭が大東市内で保存されることに
神田牧師が発見された旧大箇の家形灯篭が大東市内で保存されることになりました。
・2012年4月末、神田牧師は旧大箇(三箇1丁目)の旧家を訪問する機会があり、その旧家でキリシタン遺物を見せていただく機会がありました。
・これを契機に神田牧師は、旧大箇付近に他にもキリシタン遺物が残っているのではとの思いから散策調査され、同年6月初めに旧大箇の空き地にこの家形灯篭を発見されました。
・家形灯篭の在った場所を写真と地図で示します。


・神田牧師の報告を受けて、2012年6月3日に神田牧師と関係者数人で家形灯篭を確認しに行きました。そのときの写真を示します。






・神田牧師は、このまま灯篭を放置すれば、やがて壊され朽ち果てるだろうとの思いから、近くのお家で灯篭の所有者についてお尋ねしたところ、「家形灯篭はずっと昔から存在するので、とくに誰の所有物かというのは判らない。灯篭に関して何か動きがあれば野崎キリスト教会へ連絡します」とのありがたいおことばをいただくことができました。
・それから4年後の2016年6月に神田牧師が召天された後、神田牧師が旧大箇で家形灯篭を発見されてから約6年経った2018年5月に、以前灯篭のことを尋ねたお家から野崎キリスト教会に連絡が入り、「家形灯篭のある空き地に住宅が建つことになったので整地工事が始まり、まもなく灯篭が壊されます。欲しいのであれば、5月中に撤去移設してほしい。それ以降に放置してあれば破壊して処分されます」との連絡をいただきました。
・神田牧師の遺志を継いで神田牧師夫人が動かれ、夫人の相談相手である奈良県橿原市の中村昌泰さん(郷土史・キリシタン研究者)とその知人や野崎キリスト教会の有志とともに土中深く埋められていた地下埋設部を掘り起こされ、灯篭上部と掘り起こした地下埋設部を有志の乗用車に分乗させて安全な場所へ運搬されました。
・灯篭の保管先として中村昌泰さんが快く引き受けてくださったので、上記の発掘メンバーで奈良県橿原市まで運搬し、以降、家形灯篭は橿原市の中村昌泰邸で2024年6月10日まで保管されていました。
・今回、再び家形灯篭を移動させることになったのは、神田牧師夫人が仲の良い中村昌泰さんの奥様に「いつか灯篭を三箇に返して欲しい」と願っておられたのを中村さんが聞き入れてくださって実現するものであります。
・新たな設置場所として、カトリック大東教会様が引き受けてくださることになり、教会敷地内に設置場所を準備していただける運びとなりました。神田牧師により旧大箇で発見されたこの家形灯篭は、再び三箇のある大東市へと帰ることができました。
・2024年6月10日、奈良県橿原市の中村昌泰邸からカトリック大東教会への運搬は、野崎キリスト教会およびカトリック大東教会の有志により行われ、当日、カトリック大東教会敷地内に仮設されました。
・三箇の広場に在った家形灯篭が宅地開発による難を逃れて、今回再び大東市に安住の地を見出すことができましたのは、家型灯篭を発見された神田牧師、灯篭周辺の空き地に住宅建設が行われることを知らせてくださったお家、神田牧師の遺志を継いで迅速に動いてくださった神田牧師夫人、急な移設に際し重労働の掘り返し作業と運搬をしてくださった奈良県橿原市の中村昌泰さんと知人の方はじめ野崎キリスト教会の有志の方、そして家形灯篭の保管場所を快く提供してくださった中村昌泰さん、さらに家形灯篭が里帰りするに際し、保管場所を提供してくださったカトリック大東教会様、大東市への里帰り運搬作業で汗をかいてくださった、野崎キリスト教会とカトリック大東教会の有志の皆様、それらすべての方々のお力により、かつての三箇キリシタンの繁栄と広がりを示す証拠のひとつになるであろう旧大箇の家形灯篭が、これからも消え去ることなく三箇の故郷の地に存在し続けることができそうです。いちばん喜んでいるのは天国におられる神田牧師に違いないと確信しています。
(河内キリシタン研究会・鹿島純)
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