当ブログは、地域の発展を心から願っておられた故神田宏大先生より掲載の許可をいただいたものです。
河内キリシタン人物伝
近畿キリシタンの繁栄とその広がり
神田宏大 著
(13) 三箇城跡に立って
現在、大東市の三箇頼照サンチョの居城であった三箇城跡には菅原神社が建っています。
そのすぐ横、最初の教会が建てられたと思われる場所に、廃寺になっている水月院跡があります。荒れ果てた石碑群の一つに、「城は灰、埋もれて土となりぬとも、何を此世に思ひ残さん」と達筆で刻まれた石碑があります。
私は、こで歌われている、「城は灰、埋もれて土となりぬとも……」と、廃嘘の中に、
昔の三箇キリシタンの栄華を知っていた人が、城が焼かれ、教会が破壊されて廃嘘になった「河内キリシタン」の栄華盛衰の悲しみを歌った碑のように思っていましたが、私がこの取材のために訪れた、隠れキリシタンの資料館「サンタマリヤ館」の濱崎献作氏からいただいた小冊子、「天草伝承キリシタン『葬礼』」の中にある『ドチリナ・キリシタン』の天草版、「諸々のキリシタンの知るべき条々の事」に書かれている内容に目が止まりました。
その中で、「第四、人の色身(肉体)に命を与ゆるアニマ(魂)は、インモルタル(不滅)
として、死して終わる事なし。然るにアニマ色身を離るる時、この身は土、埃となるといえども、アニマは死するという事なく、色身を離るるとともに、御主デウスより糺明を遂げさせられ存生の間の善悪に従って、賞罰に行ひ給ふという事」と書かれ、さらに、第八項で
は、「御主デウス定め給ふ時分に人みな死し果て、この世界悉く改まるべし。その後万事叶ひ給ふ御主デウス量りなき御ちからにして、土埃となりたる人々の色身をもとのアニマに合わせ給ひて蘇し給ふべし。その時、御主ゼズキリシト大いなるご威勢、ご威光を以て天下り給ひ(主の再臨の事)、万民の前にてご糺明を遂げさせられ、人々の善悪に従って、アニマ色身ともに賞罰に行ひ給ふべきものなり」と記されています。
三箇キリシタンが成長していた一五六五年七月、京都の戦乱を逃れて来た宣教師たち、特に有名なオルガンチノ宣教師は三箇の子供たちに二年間、毎日「ドチリナ(教理問答)」を教えていた記録があります。
三箇城が灰になり、教会が破壊された状況だけでなく、迫害の嵐が日本の教会に荒れ狂う中にあって、この、「城は灰……」の碑を見た人たちは、「ドチリナ」を宣教師から学んだ三箇キリシタンの良き時代を思い出したことでしょう。
九州で小西行長から、天草の上津浦に知行を受けていた三箇頼照サンチョの子、三箇マンショはこの水月院に埋葬されたと「三箇家系図」に見られます(松田毅一『河内キリシタンの研究』参照)。
また、三箇マチアスがマニラに流され、その兄三箇アントニオの殉教の様子が伝えられたので、「三箇キリシタン」たちは、迫害者たちが我が物顔でキリシタン狩りをして仲間のキリシタンたちを残忍な処刑で殺害しているが、彼らは、自分たちの色身(肉体)が、土灰になって滅びるように見えても、キリシタンの魂は決して滅びる事がなく天国において永遠の生命が与えられ、正しい裁きをされる全能の神が必ず迫害する者たちにも善悪の糺明をしてくださり、やがてイエス・キリストが王の王、全能の主として、ご威光をもってこの地上に再臨される時、キリシタンは栄光の姿によみがえりイエス・キリストに迎え入れられる事を確信していたと思います。
河内のキリシタンたちは、この碑文を上の句として読み、彼らだけが知っている下の句である天国の栄光と、迫害する者への正しい審判、さらにご再臨の時に栄光の体でよみがえり主にお会いする聖書の約束に励まされていた事だと思い感動しました。
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