「春風亭昇太さん・中井均教授 「落語と城トーク」飯盛城 」は600名を越える来場者で大盛況!
天下人三好長慶の飯盛山城跡は「戦国時代の究極の城!天上の巨大城郭・魅せる城!」


トークショーのようす
「日本には2~3万の城跡があるといわれています。一つの都道府県に1,000個はある計算。その99.9%は戦国時代もので、時代劇に出てくるような華やかで近世・天守閣がある城はほんのわずか。天守閣のある城は全国共通のつくりなのですが、戦国時代のお城は地域性がでていてとても面白いんですよ。」
「建物が何も残らない城跡をみて何が楽しいの??ってよく聞かれるんですけど、戦国時代の城跡をたくさん見て歩き知識が増えてくると当時の城郭、様子が写真のように頭でイメージできるようになってくるんです・・・みなさんもなってきますよ。変態っていわれるかもですけど・・(笑)」
戦国時代の城の研究、ファンであるお二人の楽しいトークが続きました。

全国の戦国時代の城跡をめぐるのが趣味の昇太さんと中井教授の飯盛城の解説

後半は東坂市長も参戦
「千利休のお嫁さんが三好長慶の妹さんなんですよ。皆さんご存知でしたか?」「飯盛城には、枯山水の庭があったのでは?発掘調査で発見されるかも・・・期待します。」 (市長)
「国史跡指定に向けて発掘調査がスタートします。より多くの地元地域の方々に飯盛城のスゴさを知っていただいて誇りをもっていただきたいですね。」
会場は大きな拍手で幕を閉じました。
飯盛山城は戦国時代の究極の城!天上の巨大城郭・魅せる城!

飯盛城主 天下人 三好長慶
織田信長に先駆けた天下人 三好長慶は、連歌や茶の湯を愛した
文化人でもありました。飯盛城で茶会や連歌の宴が行われておりました。


飯盛城の特徴はなんといっても「石垣」が用いられていること。自然石をほぼ垂直に積み上げたもので何段にもわたって築かれており山の下から見上げると数十mほどに石垣の高さがあるようにみえる構造。

ところどころに残存していますが当時は(東側に多く)ずっと石垣が連ねており当時その姿は圧巻でした。


飯盛山城跡から望む視界は270度、大阪平野を見下ろし北摂・六甲の山々・淡路・遠く四国の山が見えることも。京都・比叡山・滋賀比良山系を望むことができます。

大阪平野を見下ろす

京都方面をの望む。北に比叡山・滋賀の比良山系
飯盛城は支配する守護一国の城レベルではなく、三好長慶の権力の強さがわかる、畿内を統治するにふさわしい巨大城郭(南北約650メートル・約東西400メートル)を構える山城であり戦国時代の最高水準の技術でつくられた城でありました。

「堀切(ほりきり)」
敵の侵入を阻むため、尾根を切断し堀を設ける山城特有の防御手段

「土橋(どばし)」
左右に堀をほることできる通路 (S字にすことでさらに防御・攻撃に効果的)

平坦な敷地部である「曲輪(くるわ)」・曲輪群 居住施設思われる千畳敷

城の出入口「虎口(こぐち)」 石垣が残る

大東市・四條畷市が5年後の国史跡指定を目指し本格的な発掘調査がはじまります。
調査により巨大城郭の様々なことが解明されることが期待されます。楽しみです。
<関連>
解説『天下人三好長慶と飯盛城』
「大東・三好長慶会」発足 名誉顧問に東坂浩一市長(同会会員)が就任
名刀はそれにふさわしい武将、天下人がもつ~天下人三好長慶の名刀(一覧)
「長慶&飯盛山 市民サポーター養成講座」受講生募集。三好長慶会代表 出水康生氏 来たる!
河内キリシタンの聖地①キリシタン史“真空の時代”
河内キリシタンの聖地②モンタンス日本史(挿絵)は大東市の風景・地形に酷似