河内キリシタンの聖地~河内キリシタン研究の第一人者神田宏大牧師にお話を聞きました

河内キリシタン研究の第一人者で「野崎観音の謎」筆者である神田宏大牧師と、二人三脚で研究を続けてこられた郷土歴史研究家の今村與志雄氏にお話を聞きました。

 

(写真:右奥が神田牧師・手前が今村氏)

 

神田宏大牧師は40年以上前から「河内キリシタン史」の調査・研究を続けてこられた第一人者です。

 

キリシタン史において“真空の時代”といわれ、地元飯盛山麓(大東市・四條畷市)の住民も一切記憶にない、資料のないところからのスタートでしたが、お二人は強い信念のもと一歩ずつ今まで研究を積み重ねてこられました。
2002年に日本最古のキリシタン墓碑が発掘された(四條畷市)ことにより、少しずつ「河内キリシタン」が認知されるようになり、

 

2010年には地元大東市においてシンポジウム「河内キリシタンと飯盛山城―ローマからはるか河内へ」が開かれ、その後もキリスト教や戦国史の著名な研究者を講師として招待して勉強会、講演会などが開催をされています。


2015年に河内キリスト教研究会 発足

 


 

河内キリシタン (はじめに)

 

信長に先んじて畿内を支配した飯盛山城城主の三好長慶が日本で初めてキリシタンの布教を許可、1563年に飯盛山城では家臣の武将ら73名が集団で洗礼を受けたとの記録が残されます。

 

三好長慶

飯盛城主 天下人 三好長慶

 

飯盛山(大東市・四條畷市)山麓には6千人ほどの河内キリシタンがいたといわれ隆盛を極めました。豊臣秀吉によるバテレン追放令あと衰退、その後きびしい迫害の時代となります。

 

(バテレン追放令(1587年)を出すまでキリスト教に寛容だった秀吉が大坂城下に建設を許した教会は四條畷にあったものを移築したものであった・フロイス日本史(12巻)・モンタナス日本誌など海外書物において河内キリシタンについて記述)

 

河内キリシタンイメージ図

河内キリシタンイメージ図

 

2002年2月に大東市に隣接する大阪府四條畷市で日本最古のキリシタン墓碑・地元の田原城城主・田原レイマンの墓碑(本能寺の変の前年「天正九年」の文字が刻記)が発見され大きな話題となりました。

 

礼幡墓碑 畷

田原城城主・田原レイマンの墓碑 (日本最古のキリシタン墓碑)


 

神田牧師の筆書「野崎観音の謎」は臨床に基づいた納得の内容として学術的にも高い評価をうけており、隠れキリシタンを学ぶテキストともなる名著といわれます。

 

神田牧師書籍

 

野崎観音の謎

  • 毎年15万人が訪れる、「野崎まいり」(5/1~5/8)で知られる地元の野崎観音は、隠れキリシタンの寺か!
  • 江戸時代、屋形船でまいる「野崎まいり」は隠れキリシタンの復活祭(イースター)の水上パレードだった!?
  • 専應寺・太子堂に参ってから野崎観音に参拝する・・のはなぜか?京極高次に関係!?
  • 備前国平戸住 紙屋和三郎寄贈された常夜灯 の謎!?
  • 地獄谷を上るとハライソがある!?

 

神田牧師、今村さん

神田牧師(右)と今村氏(左)2人三脚で日本全国とびまわり河内キリシタン研究

                            


河内キリシタン① (動画)
(1)河内キリシタンのはじまり~日本最古のキリシタン墓碑 (7分)
(2)飯盛城主三好長慶と河内キリシタン~モンタナス日本誌 (7分)
(3)河内キリシタンの聖地~大東・四條畷 (10分)
(4)三箇キリスト教会イースター祭と野崎まいり (4分)
(5)野崎観音の謎~隠れキリシタンの寺か? (8分)

河内キリシタン研究会会長/野崎観音の謎・著書


◆ 天下人三好長慶の居城飯盛城があった飯盛山山麓は「河内キリシタンの聖地」であった!!
◆ 「野崎まいり」で知られる野崎観音は隠れキリシタンの寺か!?

地域をぐっと盛り上げるかい vol.1 地域をぐっと盛り上げるかい vol.2  地域をぐっと盛り上げるかい vol.3

 野崎キリスト教会 神田 宏大 牧師 /    郷土歴史研究家  今村 與志雄 氏


<関連>

河内キリシタンの聖地①キリシタン史“真空の時代”
◆河内キリシタンの聖地②モンタヌス日本誌』挿絵 SACCAI(堺港図)は大東市の地形・風景に酷似

「天下人三好長慶の飯盛山城は戦国時代の究極の城!天上の巨大城郭・魅せる城!」
河内キリシタン研究の先駆者、神田宏大先生 やすらかにお眠り下さい。

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